「スパコン富嶽で飛沫の拡散予測 窓開けよりも「過密さけて」 神戸大など」という記事がありました。
このタイトルは、やや誠実でないように思います。
その場で窓を開けるだけで可能な「窓開け」と、多数の人の行動変容を伴う必要がある「過密を避けること」は実運用におけるコストが大きく異なる上に、排反なものでもありません。この2つは単純に比較すべきものとは思えません。
有料記事で無料部分しか読んでいないのですが、ざっくり言うと「窓を開ける効果と、過密による効果を比較すると後者の方が影響の方が大きかった」という内容でした。そして導き出される結論は、「電車では窓開けも有効ですが、窓開けだけではなく、混雑を避けることが重要と判明しました」ということです。
しかし、「窓開けよりも『過密さけて』」というタイトルから受ける印象はどうでしょうか?
・窓開けは必要なく、過密を避けることが大事
・過密を避けずに、窓開けだけしても意味がない
といったメッセージに感じませんか。
たまに「満員電車の対策をせずに○○しても意味がない」といった言説を見かけますが、首都圏における移動手段の多くを担っている満員電車の対策がいかに困難かを想像していただけたらと思います。
新型コロナ感染症の対策においては、社会全体での接触の密度(濃度?)が一定以下でRt<1が維持されていれば多少のクラスターが生じることはあっても社会全体に広がることはなく収束していきます。つまり、すべての接触を0にする必要はなく、トータルとしてRt<1に収まる範囲であれば、多少リスクのある行為に接触を振り分けることができます。その中で、満員電車における接触と感染リスクは、(もちろん下げる努力はした上でですが)やむを得ないもの、社会として優先するもの、ということではないでしょうか。
なにか政策や治療を行う場合、必要なコストや他の治療法との交互作用も考慮して検討されるはずです。扇動的なタイトルに惑わされないようにしたいところです。
新聞社はそういう意図を持ってタイトルを付けたのでしょうが、もう少し言葉に真摯に向き合っていただきたいです。